Tomoko TAKEDA Official

Pianist * Accompanist * Solfege

くまさんずっこけた—①2歳10ヶ月で最初の習い事・ピアノを始めた私のお話し

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くまさんずっこけた—①2歳10ヶ月で最初の習い事・ピアノを始めた私のお話し

北の大地・北海道は札幌市にてサラリーマンの父と後に手話通訳士となる母の長女として生まれたトモコちゃん。物心つく前にお隣の北広島市へお引っ越ししまして、3歳になる数ヶ月前にピアノを習い始めました。

早くない?!と思われることでしょう。
私もそう思います。

母の嫁入り道具の一つだったのか、トモコのお部屋には電子オルガンがありました。だから習い始めたのかどうかは定かではありませんが、自分で習いたいと言ったんだそうです。

2歳児が自分で言えたのか?!と思われることでしょう。
私もそう思います。

 

くまさんずっこけた

「歌いながら練習していらっしゃいね」と言われたトモコは考えた。
先生の言葉を完全に勘違いしていた約3歳児のトモコは必死に考えた。

ーーーーー歌詞を。

そうして生まれたのです。
処女作にして名曲となった『くまさんずっこけた』(バイエル1番)が。
「ド・レ・ド・レ・ド〜」と歌うべきところに「くま・さん・ ずっ・こけ・た〜」と歌詞を付け、歌いながら練習して行ったのでした。メキメキと頭角を現した3歳児の日々の苦労と言えば、それはピアノの練習ではなく、 次々と与えられる課題曲への作詞。少ない語彙力、読み書きできないので駆使するしかない記憶力、どんどん長くなる課題曲…それはそれは一生懸命に取り組みました。

猛吹雪の日も完全防寒姿でそりに乗せられ連れて行かれたピアノのレッスン。自宅の押し入れ上段から落ちて右ひじを骨 折 しても「左手は使えるわね!」と言われて休ませてもらえなかった毎日の練習。練習が無性に嫌になった日もありましたが、それを絶対に許さない母は来る日も来る日 も『年の数だけ練習しましょう』と言い隣に座るのでした。

 

絶対音感

初めて弾く曲はまず音符を読み、歌えるよう に なってから弾くよう訓練されていたトモコちゃん。小学生になった頃にはテレビから聞こえてくる音楽も鼻歌程度に歌えればピアノで適当に弾けるようになっていました。

低学年時の得意曲は『ドラえもんのテーマソング』(あんなこっといいな〜♪)タケダトモコ風。中学年時の得意曲は『スーパーマリオブラザーズ』(1面2面そしてゲームオーバー編)タケダトモコ完コピ版。こちら、途中でコインをとったり、1UPキノコをとったり、スターをとったり、時間切れになったりと忙しいので連弾版となっております。いつかご披露したい。

高学年にもなれば「年の数だけ毎日弾きなさい!」と言う母も隣にずっと座っていることはなくなりました。しかし「そんなに何回も練習しなくても弾けるのに…」と思っていたトモコちゃんはどんどん練習嫌いになっていきました。それでも諦めない母。

そこでトモコは再び考えた。

一週間楽しく練習できるくらい課題曲を難しくしようと。調号の無いハノンに調号を付け、リズムの無いハノンに多様なリズムを付け、両手で同じ音を弾くハノンに伴奏やオブリガートを付け、弾きあきたツェルニーは日替わりでキーチェンジ。

そう、気付いていたのです、遊んでいるのに課題曲年の数だけ弾けば母には「練習している」ように聞こえるということに。今ではそれがなぜなのか、説明することができます。私にはあって、母には無かったんですね、絶対音感が。みんなにあるものだと思っていたので、気付いた時にはとても驚きました。

そんなこんなで、今になってわかることが一つ。

[voice icon=”https://tomokotakeda.com/wp-content/uploads/2017/02/me03.jpg” name=”tomoco” type=”l icon_red”]わたしが今でもピアノを弾いているのは、母の根気強さのおかげ。それにしても初めての作詞で先ず出てきた動物が「くまさん」とはね。北海道だからかしら?
[/voice]

 

この記事を書いた人

Pianistアンサンブルピアニスト、ピアノ・ソルフェージュ講師武田 朋子 Tomoko TAKEDA
北海道北広島市出身。藤女子中学高等学校(札幌)を経て国立音楽大学卒業。カープ帽で登校していた小学生の頃からのカープファン。大学進学で上京してからは神宮球場を自分のホーム球場としている。ストレスが溜まったと感じると夜中でもパンを作るか薬味ネギを刻む傾向にある。
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